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水うちわ復活への道のり

『岐阜に住むきみが、このまちを愛するように』
そんなメッセージを地域の若者に伝えるフリーペーパー「ORGAN」をつくる蒲勇介。
彼が水うちわに出会ったのは、ORGANの取材がきっかけでした。
『東京にいながらも、岐阜のためにできること』
を模索し活動をしているG-net東京スタッフのメンバーである水野馨生里。
岐阜への帰省時に蒲勇介とともに訪れた住井冨次郎商店で、
初めて水うちわに出会いました。
二人が水うちわに心を奪われたことを、悟ったのでしょうか。
いつか復活させたいと思っとるんやて。
住井さんは語りました。
水うちわを介した、この三人の出会い。
それにより、水うちわ復活が、住井さんだけの夢ではなくなりました。
2004年春のことです。



一年目の水うちわ

そんな出会いをきっかけに、水うちわの復活が具体的になってきました。
元来と同じ美濃和紙の雁皮紙は手に入りませんでしたが、
類似した紙を全国からかき集め次々と試して行きました。
水うちわに耐水性を付加する、特殊なニスは新たに調合してもらわなければ手に入りません。先代が使っていたニスと似ているものをサンプルとして分けてもらいそれを使いました。
骨となる竹は、現在、岐阜うちわに使われている四国のものを使うことにしました。
そしてデザインは、蒲勇介が手がけました。
新生、水うちわとして、あえて従来の絵柄にとらわれず
彼の水うちわと水うちわを育んだ岐阜への思いを前面に出しました。
住井さんは、それまでも何本か水うちわを貼ったことがありましたが
先代が持っていた技術を習得するほど頻繁には貼っていませんでした。
彼にとってそれは大きな挑戦でした。
どうしたら、より透明な、水うちわの美しさを引き出せるのか。
試行錯誤を重ねます。
こうして、一年目の水うちわは、徐々に完成に近づきました。
そして作られたおよそ150本の水うちわは、口コミで広まり
あっという間に完売、追加の注文が押し寄せました。

これと並行して、水野馨生里は、美濃和紙職人を探していました。
いつか本来の岐阜の原料で作った、昔と同じ水うちわを復活させたい、
という三人の思い
を抱え、東京で開かれるあらゆる和紙関連の催しに足を運びました。
そんな中、ある和紙の催しで紹介された若手の美濃和紙職人集団、
美濃和紙ネットワーク21。
三人は、美濃の雁皮紙を求め、美濃まで車を飛ばしたのです。
中でも最も若い二人の職人、corsoyardの倉田真さんと沢木健司さん。
彼らは、日本で一番薄い紙を漉く技術を持つと胸を張って言いました。
そして、自信を持って雁皮紙の再生産を引き受けてくれたのです。

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