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水うちわの復活、そして新たな創造。
それは、時を越え、場所を越え、人を超えて実現に向かいます。
数え切れない人々の、計り知れない思いがこもった水うちわ。
透きとおる水うちわの、裏に隠れた熱い思いを、そっと覗いて見てください。



うちわの伝来

岐阜うちわがどのように、いつごろから作られていたのか
詳しい文献も現物もないため、確かなことは謎に包まれたままです。
ただ、中世の天皇近侍の女官が書き継いだ『御湯殿上日記』に、
美濃国瑞龍寺という岐阜の寺院から宮廷へうちわが献上されていた
という記録が残っています。
他にも、いくつか岐阜のうちわの存在を示す文献はあるものの
うちわそのものの形や成り立ちを伝えるものは残念ながらありません。

岐阜うちわと住井富次郎商店
このようにして、いつごろからか岐阜では伝統的にうちわが作られてきました。
岐阜は盆地となっており、四方を山に囲まれています。
山裾にはところどころ、竹細工に適した良質な真竹が群生していたようです。
その竹をうちわの骨に。
また、美濃和紙の産地とも川で結ばれ、
上流から届けられる和紙がうちわの面(おもて)として使われていました。
こうして岐阜にあるもので作られ、産業として定着したうちわ。

住井冨次郎商店は、約100年前に、京都にある深草うちわの老舗、
小丸屋住井さんから暖簾分けをして、岐阜にやってきました。
店を構えたのは、清流長良川の育んだ水運の拠点、川湊として栄えた現在の岐阜市湊町です。
他のうちわ屋さんとともに、住井冨次郎商店は岐阜の名産品としてのうちわを、作り続けました。
こうして、長良川の水運や、鵜飼という文化を取り巻く環境の中で、
岐阜うちわは形作られ、育まれました。



水うちわの誕生

水うちわに関しても、残念ながら文献など、残っている資料がなく、
いつから、誰が、なぜ生み出したのか、いまだ分かりません。
ただ、目に見えるものとして、確かなものは、
住井冨次郎商店の先代店主が作り遺した水うちわが、言葉では伝え切れないほど美しく
非常に質の高いものであるということ、
そして、水うちわは約10年前までは生産されていた、ということ。
水うちわの絵柄は、大胆な筆遣いで岐阜を思わせるものがほとんどです。
鵜飼・金華山・金華山のロープウェイ。
これらの絵は、もはやほとんどいなくなってしまった 刷り込み師によって、
水うちわの面となる薄い雁皮紙に描かれてきました。
水うちわは、岐阜うちわの中でも新しい、そして特徴的なうちわとして親しまれてきました。
水のように透け、水に浸し仰ぐことができるので、
暑い岐阜の夏にはもってこいの夏の風物詩だったようです。
夏から秋にかけて行われる鵜飼を、船の上から見物しながら、
手に持つ水うちわを長良川の水に浸し仰いでいたのです。
川遊びの中で生まれた、なんとも風雅な、独特の趣向なのです。



そして、水うちわが途絶える

水うちわは、先代の時代から多くは作られていなかったようです。
ただ、水うちわの紙の在庫はあり、水うちわという存在は伝えられました。
しかし、水うちわを貼る技を持っていた先代が亡くなったこと
そして、水うちわに必要な雁皮紙が美濃で漉かれなくなったことが
大きな原因といわれています。
こうして、姿を消していた水うちわ。
しかし、現在のご主人、住井一成さんの中では
水うちわは決して消えていたわけではありませんでした。
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